特別連載企画『失敗の本質』から何を学ぶか(5)

【第5回】 

かっての陸海軍の「戦略・戦術」概念

  以上、主としてヨーロッパ諸国における「戦略・戦術」概念の発展の軌跡を概観して参りましたが、我が国における「戦略・戦術」概念の発展の軌跡を顧みてみましょう。

  まず結論から述べますと、我が国においては「戦略・戦術」についての統一的な概念規定は、現在から顧みて観ますと大変に遅れていました。このことが我が国の『失敗の本質』の根本的な要因の一つになっていました。何しろ陸軍と海軍との間で「戦略・戦術」概念に大きな乖離が在り、これが大東亜戦争の軍事的敗北に至るまで全く解消されることがなかったことにありました。

 端的に陸海軍の間に在った「戦略・戦術」概念の相違について、その概要を描いてみましょう。

 我が陸軍においては、師団という兵力12,000〜18,000名規模の編成組織上の部隊を運用する場合に「戦略」という用語を使用し、師団内の連隊、大隊、中隊あたりを運用する場合に「戦術」という用語を使用していました。つまり「戦略」と「戦術」という用語の概念規定は、「部隊組織の規模の大小」を区分理念とするものでした。

 これに対し海軍では、海戦において敵艦隊と会戦を行う遥か以前の時期において敵といかに戦うべきであるかを策定することを「戦略」とし、敵艦隊が実際に視界に入り砲火を交えるあたりの海戦をいかに行うべきかの作戦・戦闘の実施要領を「戦術」としておりました。すなわち海軍の場合、「戦略」と「戦術」という用語の概念規定は、「時間や間合い」を区分理念とするものでした。

 今日でも「戦略とは見えざるもの」であり、「戦術とは見えるもの」といった言い方がありますが、これはかっての海軍の「戦略・戦術」概念の踏襲だったのでしょうか。

 第二次世界大戦以前の我が国の武力戦を采配する統括組織として「大本営」という機関がありましたが、これは一体の組織ではなく、「大本営陸軍部」と「大本営海軍部」とが並立して、それぞれ別個の機関として存在していたので、陸海軍の幕僚(参謀)将校たちが一堂に会して如何なる武力戦を企画展開するべきであるかという「戦略・戦術」を論議しても、そもそも用語の概念規定が全く異なり、幕僚間の意思疎通を円滑に図ることは容易なことではなかったと言われています。

 軍事分野で「戦略・戦術」といった最も重要な用語の概念が統一されることなく共通言語となっていなかったのは、なぜであったのか不思議でなりません。これは多分「戦争」という社会現象をどう理解認識するべきであるかという社会科学的な知見が未成熟であったことと深く係っていたのではないかと思われます。

 そもそも「戦争とは何か?」という社会科学的な問題意識が、当時の日本人に希薄もしくは欠落していたからではないかと思われます。どうも当時の日本人は、「戦争とは武力戦のことである」と単純に考えていたのではないかと思われる節があります。

  陸軍では、満洲の原野で極東ソ連軍と戦火を交えるといった限定された武力戦の次元で戦争を想定していたのではないかと思われます。また海軍においても想定していたのはアメリカの太平洋艦隊を西太平洋海域に邀撃して雌雄を決するといった局面しか想定していなかったのではないかと思われます。

 欧米諸国においては第一次世界大戦で武力戦の規模・様相が極度に拡大し、戦争を軍事の領域だけで制御・管理することができなくなったという深刻な事態認識が生まれていました。「戦争! それは将軍たちに任せておくには、余りにも事は重大である」というフランスの宰相クレマンソーの悲壮な叫びが、戦争という社会現象にたいする意識改革を喚起するものであったと言って過言ではありません。

 第一次世界大戦の渦中で英仏などの連合国では、戦争全体の采配は将軍や提督たちに任せるべきではなく、国家のトップ・レベルの政治指導者が責任を担うべきであるという考え方が次第に醸成されてきました。もちろん武力戦を采配する専門職である英仏の将軍や提督たちは、クレマンソーやロイド・ジョージのこのような考え方には強く反発しましたが、現実の戦争様相は軍事の領域を超えて国家の経済・財政・産業・貿易などを直撃し、国民大衆の心理・思想などにも深い影響を与えてきました。

 将軍たちが如何に脳漿を絞り卓越した作戦計画を策定したとしても、政府が戦場の最前線に大砲の弾薬や糧食など適時に補給することができなければ、第一線の作戦部隊は戦闘を継続することは不可能であることが、次第に将軍たちにも次第に判ってきました。

 かくして第一次世界大戦は、軍事力以外の経済力、産業力、科学技術力、医学衛生力、その他に思想・文化・心理など万般にわたる国家が保有する諸々の力量を統合発揮しなければ戦い抜けないことが現実に証明されてきたことが、「国家総力戦」という新たな概念を創出する結果になりました。

 第一次世界大戦を経験した欧米の連合国では、戦争の最中に戦争全体を統合調整し命令指示する組織として「最高戦争指導会議」という機関が創出され、国家統治の責任者である文民政治家が「戦争指導」を行い、将軍たちはその枠組みの中で「武力戦を如何に采配すべきか」担当する仕組みができあがりました。

 ところが我が国では第一次世界大戦では、そのような深刻な修羅場の体験を得ることがありませんでしたので、新たな環境変化の重大性を感得することができず、旧来の組織制度で対応し遅れをとることになってしまいました。

 


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