特別連載企画『失敗の本質』から何を学ぶか(3)

【第3回】 

フランス革命を転機とする国民国家時代の戦争様相      

  1789年のフランス革命を経た以降の戦争になりますと、その戦争の様相は一変してしまいます。 すなわちナポレオン・ボナパルドの(1769〜1821年)の登場です。

  ナポレオンは、フランス革命の理念である「自由・平等・博愛」を高く掲げ、革命の防衛と革命理念の輸出を図りました。そのための手段である軍隊は、それまでの傭兵制の職業専門軍隊から徴兵制に変化し、革命防衛のための国民大衆の軍隊になり、軍隊の基本的な性格が大きく変質してきました。

  身分制の撤廃、私有財産制の確認、土地改革の実行、民主主義の確立などをもって自由な市民の基本的な権利であると主張し、これらの実現を阻害していた旧来の王朝体制を物理的に打倒し、共和国を創設しました。それと同時に、これらの市民的な権利を担保するための軍事組織として、旧来の職業専門的な傭兵制軍隊とは全く性格を異にする国民大衆による徴兵制の軍隊をもって充てました。

  革命により国家は国王のものではなく、国民大衆のものになりました。したがって「自らの国家は、自らの手で守らなければならない」という素朴な意識が、人民の間に自然と芽生えてきました。その結果、軍隊を構成する要員は、全ての国民が参加する国民皆兵を基調とするものであるべきであるという考え方が自然に生まれました。すなわち徴兵制度による国民軍の出現です。

  この徴兵制度に理論的な根拠を与えたのが、ジャンジャック・ルソーの著書『社会契約論』でした。ルソーの基本的な考え方は、「共同の力をあげて、各構成員の進退と財産を防御し保護する結合状態を発見すること。この結合形態によって各構成員は、全体に結合するが、しかし自分自身にしか服従することなく、結合前と同様に自由である」というものでした。

  確かに徴兵制による国民大衆の軍隊は、戦闘技術的には職業専門性に優れた傭兵制軍隊には及ぶものではありませんでしたが、国民大衆の自主積極的な参加意欲の向上により、精神力、勇敢さなどの無形戦力の質的な向上は、傭兵制軍隊に比し著しいものがありました。

  さらに自由・平等の原則により軍隊の骨幹たるべき将校への門戸を、貴族階級の独占から開放し能力ある人材の登用を可能にしましたので、真に能力のある指揮官を発掘し、軍隊の精強化に著しい発展をみました。

  かくして徴兵制による国民大衆軍隊の出現は、傭兵制の職業専門軍隊のように戦場における兵士の逃亡やサボタージュを顧慮することなく、兵力の増強に伴い戦闘組織、戦術隊形などを逐次改変して斬新な戦術戦法の開発を可能にしました。

 すなわち師団や軍団などの大規模な部隊編成が可能となり、従来の兵士の逃亡を防ぐための恐怖による威圧統御や横隊の密集隊形に捉われることなく、戦況に応じて適時に散開隊形や疎開隊形への移行を容易にする縦隊戦術の採用を可能にしました。これにより戦場における柔軟かつ放胆なる機動的な部隊の戦術運用が可能になりました。

  徴兵制ならば国家財政的な負担も傭兵制に比べますと比較的軽減されますので、大規模な部隊を整備維持することができるようになりました。傭兵制時代に比べ約3倍強の大兵力の整備が可能になりました。

  この徴兵制による軍隊はフランス革命の防衛のための軍隊ですから、革命的なイデオロギーで精神武装した国民大衆を兵士にしていましたので、貨幣で傭われていた傭兵制の軍隊に比べると士気・規律・団結という無形の戦闘力の面では格段の精強度を増していました。

  この革命的なイデオロギーで精神武装した大規模な徴兵制による国民大衆軍隊の出現は、当時の戦争様相を一変させることになりました。先に紹介しましたデルブリュックが創出した概念を用いますと、従来の「持久戦争・消耗戦略」の時代から、新しい「決戦戦争・殲滅戦略」への転換でした。

  フランス革命の前と後では軍事技術的な進歩発展による顕著な差異は認められてはいません。小銃や大砲の発射速度が著しく増したとか、弾丸の射距離が著しく増大したとか、弾丸の殺傷威力が著しく強大化したとかいったことはありませんでした。

  一般的には戦争様相の変化の契機は、武器の素材が青銅器から鉄器に変わったとか、火薬の発見発明により火砲が出現したとか、蒸気機関の発明により鉄道が軍隊輸送に活用されるようになったとか、電信技術の発達により情報の伝達速度が高まったとか、等々の軍事技術上の発達による変化によるものでした。

  しかしフランス革命を契機とする戦争様相の変化は、軍事技術的の要因ではなく、人間の意識の変化を要因にするものでした。

  このようにフランス革命による人間の意識の変化を、戦場における軍隊の指揮運用に巧みに活用したのが、ナポレオンでした。ナポレオンは、徴兵制のフランス国民大衆軍をもって、傭兵制の職業専門軍隊である王朝側の敵野戦軍を戦場内に捕捉し、あるいは戦場から逃れようとする王朝軍を追撃し戦場外に捕捉し、徹底的に撃滅しようとしました。

  このように徹底的に敵野戦軍を戦場の内外で捕捉撃破して、決定的な戦果を獲得しようとするやり方を「殲滅戦略」とデリュブリックは称し、王朝時代の決定的な戦闘を回避して紛争要因の解決をできるだけ外交交渉で解決しようとする「消耗戦略」と区分しました。

 


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