(2)須賀亨氏

•「大黒柱」を失い、道に迷う

 電子部品技術統括室は大きな成果をもたらす。

 かつて3万5000点にも及んでいた部品点数を3,000点ほどに集約するなどして大幅なコストダウンを実現したのだ。

 2000年、須賀さんの部門は新たな段階に移ろうとしていた。部品の最適選択が一段落したので、次は最適な回路設計を支える仕組み・ルールの構築、人材作りである。

 だが、組織を悲劇が襲う。初代室長が癌のため急逝してしまったのだ。

それまで組織をけん引してきたカリスマ的なリーダーである。そもそも電子部品技術統括室じたいが初代室長の熱い思いで創設された部門だ。

 誰かが代わりをすればいいという話ではなかった。それだけ存在感が大きかった。

「構想力が秀でた人でした。また社内で唯一『夢』という言葉で語る上司でした。『こうなったらいいと思わない? それがぼくの夢なんだよね』と楽しげに話す。そしてまわりを巻き込みながら夢を実現していく。心底、すごいなと思いました。それまで、私は会社は苦労してお金をもらうところだと変な意識にとらわれていましたから。ただ、かなりしごかれもしましたけどね」

 電子部品技術統括室は常に新たな仕組みやルールを作る部署である。いわば変革、改革のDNAを生まれながらにして持っている。それはまた変革リーダー、初代室長の性格・気質から来るものでもある。コンセプトメーキング、ビジョンメーキングのできない人が変革の使命を帯びた組織の長が務まるわけがない。新しい室長が方向を指し示せないと言って責めるのは酷だが、初代室長を失って組織は瓦解の危機に陥るのである。

 •「辞めてはいけない」—心の声で決意が固まる

 組織の崩壊は静かに進む。

「部品のデータベースや認定制度ができていたので、それなりにツール仕事はまわっていきます。外からは、いままでとなんら変わらず見えたかもしれません。しかし新しい方向性を打ち出せないだけでなく、既存の業務までが形骸化し始めていました。たとえば、この部品が最適だと認定したらメーカーからその仕様書を取り寄せて100%データベースに格納しなければいけないのに、そのルールが守られていなかったのです」

 一度、構築した仕組みも、常に磨きをかけなければ制度疲労を生じる。

 変革を使命とする部門がビジョンを打ち出せないうえに、いまの仕組みに亀裂が入り始めていた。ベテラン勢の中には危機を募らせ、ほかの部署から声がかかれば「渡りに船」と異動していく者もいる。

 須賀氏の苦悩も深まっていた。

 組織勢力的には、初代室長の薫陶を受けた「第一世代」は15〜20人弱に対して、部門の「立ち上げの苦労」を知らない「第二世代」が40〜50人いた。大きくなった部門内の4グループの間には、反目し合う雰囲気さえある。

 もはや部門の原点は何か、DNAは何か、意義は何かといったことが薄れつつあった。

 そして03年12月、「辞めたい」と漏らす。

 クリスマスの日、辞意を固めた須賀氏は室長とともにセンター長と面談する。

「年末年始、よく考えてみろ。年明けにもう一度会おう」

 須賀氏はセンター長のその言葉を抱えて04年の新年を迎えた。

「誰にも悩みを伝えることができず、自分ひとりで抱え込み、思いを巡らせていました。これはいわく言い難いのですが、年が明けて突然『辞めてはいけない』という言葉が心に浮かんだのです。それで腹が決まりました」

 1月中旬、センター長との再度の面談で須賀氏は、改革を「やります。半年時間をください」と語っていた。

                                      (つづく)


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