(3)鈴木中人氏

娘の死を契機に、

「いのち」の大切さを語り継ぐ

【中編】

NPO法人いのちをバトンタッチする会 代表
(株)ライフクリエイト研究所 代表取締役 

鈴木 中人 氏 


 長女が小児がんとなったことで、それまでの“当たり前”がすべて壊れたと感じるほど、生活が一変した鈴木さん。逆に、小学校入学後は頑張って学校に通う、娘の懸命に生きる姿に励まされたと言います。
 しかし懸命の努力にも関わらず最期の時は訪れ…。人の生と死を真摯に見つめ、自分の生き方を考えるようになった鈴木さんのそれからの軌跡をたどります。




● 死を受け入れ、

  新たな使命へ

   鈴木さんの長女は、3年間の闘病の末、95年に6歳で亡くなった。

 「看取った瞬間、私が殺したと思いました。病気を見つけられず、治せなかった。最後は痛みを抑えるために、鎮静剤で眠らせたんです」

 その後職場に戻った鈴木さんは、娘の死を隠すように普通を装い、それまで以上に働いた。周囲から気遣うような言葉をかけられると、そのたびに心の中で反発した。

 「頑張って」(これ以上どう頑張れっていうんだ) 「辛い気持ちは分かります」(分かるわけがない) 「時間が忘れさせてくれる」(忘れられるわけがないじゃないか)

 小児がんの支援活動にも参加するようになった。

 「人助けというよりも、罪滅ぼしですね。ご家族と話していると、私たちと同じことを悩んでいる。自分の体験が何か役に立てるのではないかと思いました」

 そのうち、仕事に没頭すると、子どものことをふと忘れている自分に気づいた。これではいけないと思い、娘が生きた証を残そうと、自分の体験を手記にまとめることを始めた。しかし、なかなか筆は思うように進まなかった。

 闘病生活をしていた頃に大学ノートに書いていたメモを見ても、一行読むと、その時の情景や娘のことが全部よみがえってくる。

  「最初に書いた原稿は、怒りでいっぱいでした。あのドクターが、もっとこういう治療をしてくれたらよかったじゃないか、とか。でも、何回か書き直すうち に、あのドクター、台風の中を子どものためにハンバーガーを買いに行ってくれたよな、とか、未明に発作を起こしたら、頭ぼさぼさのまま来てくれたよな、と か、だんだんとしてもらったことが思い出されてきて、感謝の気持ちが出るようになりました。内省することができたんですね」

  長女の死から5年たったある日、たまたま読んだ本のある一文が目にとまった。

 「子どもの供養とは、親が生まれ変わること、子どもの分まで生きること」

 「読んだ瞬間、涙があふれました。自分は死を受容しただけで、何もしていない。でも、いったい何をすればいいのかがわからなかった」

 生まれ変わるとはどういうことか? 子どもの分まで生きるとはどういうことか? この時から、鈴木さんは自分がどう生きればいいのかを考えるようになった。

  「すると、自分が出かける場所や出会う人がだんだん変わってきました。世の中には、もっと苦しんでいる人がたくさんいることに気づき、みんな同じだと感じ ることができるようになったんです。私はたまたま小児がんで娘を亡くしたが、みんな生きている中で、さまざまな苦しみや悲しみを背負っているんだと気づい て、すごく楽になったんですね」

 それまで小児病棟で髪のない子どもを見ると皆死んでしまう子どもに見えていた鈴木さんだったが、その子たちが一生懸命生きている姿が輝いて見えるようになった。

 「そして娘も、自分の生きる姿を通じて、たくさんのメッセージを残してくれたんだ、自分に託してくれていたんだと思えるようになったんです」

                                                                                                                             


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