(2)鈴木中人氏

● 仲間に支えられている

 という実感 

 結局、正月も治療をするために、輸血できる人を10人確保する必要があった。

 感染症や貧血の人は輸血できないため、10人確保しようとすると、20人ぐらいに検査を受けてもらう必要がある。それだけの人数を確保するには、職場にお願いするしかない。

 そこで部長に事情を話すと、部長はすぐにみんなに声を掛けてくれて、50人ぐらいの人が手を挙げてくれた。

  「1月2日にどうしても輸血が必要になって、新入社員だった私の部下が、岡山へ帰省するのをやめて待っていてくれたんです。帰り際に『ありがとう』と言っ たら、『いや、困ったときはお互い様ですから、いつでも言ってください』と言ってくれました。私は自分で言うのもなんですが、鬼軍曹のようなすごく厳しい上司で、部下の前で涙なんか一度も流したことがなかったんですが、この時だけは涙が出ました」

 長女の病気はその後奇跡的に回復し、保育園にも行けるようになった。病気は2年間再発せず、治療を終えるための精密検査を受けたが、どこにも異常は見つからなかった。

 ところが、最後に念のために脳の写真を撮ったところ、脳への転移が見つかってしまう。当時、この病気で脳に転移することは、学会で発表されるくらい珍しいことだった。その後さらに骨へも転移し、余命数カ月と宣告された。

 その日から、わが子が死ぬと思いながら暮らす、鈴木さんのつらい日々が始まった。

 「でも、子どもはすごく前向きなんです。4月に小学校に入学した時も『お勉強頑張らなくちゃね』って、笑顔いっぱいで言うんです」

 5月になると、骨に病気が進んで歩けなくなり、車いすでの生活になった。それでも、自分で車いすを押して学校に行き、髪の毛がなく、頭に大きな傷跡もあるのに、恥ずかしがらずに外に出て行く。

 「私は、死んで全部無駄になってしまうのに、なぜ頑張るんだろうと思いましたが、子どもは、今できることを一生懸命やっていたんですね。そういう姿を見て、できるできないではなく、今を精一杯生きることに意味があるんだということを感じました」

                                                                                  (つづく)


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