(1)鈴木中人氏

 ザ・チェンジ・エージェント<実践編>

  ~人の心に火を点け 現場から組織・社会を変える人たち~

  高い意識と志を持ち、ビジョンの実現を目指して奮闘するリーダーがいる。既存の枠組みに囚われず、組織、仕組み、社会に化学反応を起こし、より良い方向へと変革しながら前進してゆく人たち。彼らをチェンジ・エージェント(変革の促進者)と呼ぶ。
 自在(株)ホームページの特別企画として、毎月一人ずつ、チェンジ・エージェントの活動、想いを取り上げてご紹介していきます。
 

娘の死を契機に、

「いのち」の大切さを語り継ぐ

【前編】

NPO法人いのちをバトンタッチする会 代表
(株)ライフクリエイト研究所 代表取締役 

鈴木 中人 氏 


 いじめや虐待、自殺など、命が粗末にされることが日常化している現代社会。そこに一石を投じる活動を行っているのが、いのちをバトンタッチする会代表の鈴木中人氏です。
 もとは典型的な“企業戦士”でしたが、長女を小児がんで失ったことをきっかけに、会社を早期退職し、子どもから企業人まで幅広い層を対象に、自身の体験を基に「いのちと家族の絆」の大切さを語り継ぐ活動を行っています。


(ライター:増田忠英)


● サラリーマン家庭を襲った

  突然の不幸

  
 鈴木氏は1981年、地元愛知県の自動車部品メーカー、(株)デンソーに就職した。毎日深夜まで働き、休日出勤も厭わない、典型的な“企業戦士”だった。

 「職場や仕事の中に、自分の生きがいや充実感みたいなものを感じていました」

 1992年、鈴木氏が35歳の時、そんな仕事中心の生活を一変させる出来事が起きた。3歳の長女に小児がん(神経芽細胞腫)が見つかったのだ。助かる確率は、高くても15パーセントと診断された。

  「それまでの“当たり前”が全部壊れた瞬間でした。例えば、それまでは2人の子どもと家族4人で一緒に暮らすのが当たり前だったのが、妻と長女は病院、長男は私の実家、私は自宅とバラバラになりました。しかも、子どもは育つのが当たり前と思っていたのに、子どもがいなくなる可能性の方が高い状況になった。 仕事も、家事のために朝7時前に出勤して夕方早めに退社し、金曜の夜から日曜の午後までは私が病院で付き添いをしました」

 長女が入院した大学病院の小児病棟には、難病の子どもがたくさん入院していた。

  「娘が入院している間、月に一人くらいのペースで子どもが亡くなっていくんです。2、3日前まで廊下で遊んでいた子どもが、ある日突然いなくなる。一方で、病院から少し離れると、普通に家族連れが歩いている姿が見える。なぜこの子が死んで、あの子は生きているのか、命とか家族とはなんだろうって、ずいぶん考えました」

 3年間の闘病生活の中で鈴木氏には、それまで何となく頭でわかっていたことを、心(身体)で実感できたことがたくさんあった。その1つが、「自分が支えられている」という実感だった。

  入院した年の暮れに、先生から「血液が確保できないから治療を延期するかもしれない」と告げられた。抗がん剤をずっと使っていると、造血機能がどんどん低 下するので輸血が必要になる。しかし、正月は献血が休みになるから、日本中で血液が足りなくなるという。だから、緊急手術以外の治療はどこの病院も延期せ ざるを得ないのだ。

 「私はそれまで、自分の子どもは親と病院のスタッフによって守られていると思っていました。でも、そうじゃなかったんですね。名前も知らない人たちが支えてくれているんだな、とその時気づきました」

                                      


横浜商科大学
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