(3)阿部裕志氏

人と人、人と自然の結びつきを通じて、

地域おこし、人づくりを目指す

【中編】

株式会社巡の環 
代表取締役 

阿部 裕志 氏 

エンジニアとしての自分と、人と自然が好きという自分-自分のなかにある二つの自分の存在の間で揺れ動いた阿部さんは、ついに大手自動車会社の退職を決意しました。その後のキャリアの選択肢を考えた末、海士町に移住し仲間とともに起業する道を歩み始めます。海士町の半端でない情熱にひかれ、同志とともに島で起業した阿部氏を、地域おこしにいざなったものは何か、そして具体的にどんな事業で地域を発展させようとしているのでしょうか。

 

•島の未来を真剣に考える、輪の中に入りたい

  退職を前に2つの選択肢を考えた。一足飛びに自然や人と向き合う現場に向かうか、製造系のコンサルタントとして経営の視点を学ぶキャリアを挟むか。

「かなり悩みました。しかし環境や地域が注目される潮流が来始めているという直感がありました。早く現場に入って汗水流しながら泥臭くやらないと、自分が入る余地がなくなるのではないかと思いました」

 進むべき道を絞ると、先にトヨタを辞めて海士町に暮らす知人を介し、現地を訪れる。役場の課長に島を案内してもらったその晩の出来事が、阿部氏の海士町移住を決定づけることになる。

「町の議員、課長、U・Iターン者、中高生が一つのいろりを囲んで、どうすれば自分たちの島がよくなるかを真剣に議論している。アイデアが出ると課長が『すごくいいから来年やってみよう』と言う。これは面白いな、みんなの環の中に入れてもらいたいなと思いました」

 退職するのは4年目の12月と決めた。トヨタで働いた期間は3年9カ月となる。ちょうど革新的ラインの立ち上げが終わり、切りのいいタイミングでの転身である。

「当初は12月に退職した後、3か月間は世界旅行をし、4月から海士町の商品開発研修生になろうと考えていましたが、同世代の2人から『一緒に会社をやらないか』と誘われ、結局1月に移住し、その月には起業することになったのです」

 08年1月、海士町で(株)巡の環を設立する。その年にトヨタは世界新車販売台数が世界一となりピークを迎えていた。29歳のときである。

 最初、会社の運営資金は持ち出しも多かったが、起業パートナーのウェブディレクターが東京から仕事を引っ張ってきたのが大きかった。

「島の中にマーケットを求めるのではなく、いかに“外貨”を稼ぐかが重要です。外貨が稼げれば島に雇用を創出できます。東京にある企業ばかりでなく、日本企業のニューヨーク支店からも仕事をもらっています」

 ウェブ制作による外貨の獲得は今でも売上の大きな部分を占めている。

                                     


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