(2)近澤洋平氏

●天命を知った人生最大の転機  

 MRとして後ろ向きの日々を送っていた近澤氏に人生最大の転機が訪れたのは、30歳を目前にした1992年のことだった。当時は東京・城南地区の病院担当になり、毎日毎日廊下で医師に頭を下げる毎日を送っていた。  

 ある日、病院で1人の医師が、声をかけてきた。

 「君のところに、こんな薬があるよね。使いたいから持ってきて」 。


 「たまたま声をかけられたんですけど、いつも数字に苦労している私としては、こちらから宣伝もしていないのに、なんてラッキーなんだと思いました。その時は先生に、その薬についての通り一遍の説明をして注文を受けました」  

 その1週間後、病院でその医師を訪ねて、「あの薬、どうでしたか」と尋ねてみた。

 「そうしたら、『おまえ、あの薬、とんでもない薬だな』って、えらい怒られました。これは何か重大な問題があったに違いないと思い、顔が真っ青になりました」  

 その医師の話によれば、患者さんにその薬を投与したところ、副作用で出血が止まらなくなり、とても慌てたという。「この薬は危険だから、やめましょう」と医師が患者さんに言うと、「先生、私はこの副作用を我慢しますから、打ち続けてください。夜、足が痛くて痛くて眠れなかったのに、この薬を注射してもらったら、痛みがとれて、夜ぐっすりと眠れるようになったんです」と懇願されたそうだ。  

 「この話を聞いた時、私は初めて、医師がどんな患者さんに薬を使ったのかを知りました。それまでは、自分が売っている薬がどんな患者さんに使われるのか想像もつかないまま説明していたんです。その患者さんは重い糖尿病を患っていて、腎不全で透析を週に3回受けていました。足の血管が詰まり始めていて、切断しなければならないかもしれないという状態で、血液を凝固させないように、いろいろな薬を試したそうです。でも効果がなく、最後の手段として、ダメMRの会社の薬を試してみたというわけです。苦痛と闘う患者さんの願いを知り、そんな患者さんを何とか助けたいと頑張っている医師の姿に触れ、私はこの時初めて、『患者さんを救おう』と思いました」  

 高校一年の時に観たテレビドラマ「白い巨塔」の里見先生に憧れたという近澤氏は「この時、私はすっかり里見先生になっていた」という。  

 「会社に戻って文献を探したり、学術部の人に話を聞き、透析を受けている患者さんへの投与方法を調べて、安全な使い方を先生に報告しました。そればかりか、カルテを出してもらって、検査方法を先生に提案したほどです。あんなにおどおどしていた私が、嘘のようでした」  その後、しばらくしてその医師に会いに行くと、ある患者さんと話をしているところだった。離れたところで話が終わるのを待っていると、その医師が近澤氏に気づき、「近澤君!」と呼びかけた。それまで病院では「プロパー」「第一さん」などとしか呼ばれたことのなかった近澤氏にとって、名前で呼ばれた初めての経験だった。  

 呼ばれて医師のところに行ってみると、患者さんは近澤氏に向かってしきりに頭を下げた。実は、近澤氏が必死に助けようとした患者さんその人だったのだ。  

 「『あなたの足がよくなったのは、この人のおかげだよ』と医師に紹介された時、『私はこのために生まれてきたんだ』と自分の使命を確信したのです」

                                       (つづく)


横浜商科大学
特定非営利活動法人 キャリア・コンサルティング協議会
NPO法人 日本サーバント・リーダーシップ協会