(2)鈴木崇之氏

●北海道の片隅から営業体質を変える発信力

 事務局として「私がやる!」プロジェクトを牽引してきた鈴木氏は、2003年2月、帝人(現・帝人ファーマ)に中途採用で入社した。前職は同じ医薬品業界である第一製薬(現・第一三共)。1994年に新卒で入社し、MRとして8年間勤務した


 「医薬品業界を目指したのは、まだまだ未開拓な業界だと感じたからです。グローバル化もこれからでしたので、パイオニア的な仕事ができると期待しました。ただ、現場経験がないと長い目でいい仕事はできないだろう思っていたので、MRを何年か経験して、その上でグローバルな仕事をやりたいと、入社試験の時から考えていました」。


 最初の赴任地は北海道の小樽・後志(しりべし)地区。出身は神奈川県川崎市で大学は東京だが、テレビドラマ『北の国から』に憧れて、北海道に住むために決まりかけていた東京配属を蹴って志願した。
 新人としてスタートした北海道での6年間に意識していたのは、「地方からでも会社は変えられる」ということだった。当時、第一製薬には、MRが営業ノウハウや競合情報をレポートにまとめて提出し、その情報を本社で分析して関係部署と共有する仕組みがあり、鈴木氏は毎年100~120件ものレポートを提出し続けた。社内に1,000人ほどいたMRの中でも圧倒的な情報発信量である。その原動力となっていたのは、「会社の営業体質を変えなければ」という思いだった。


 当時、一症例の単価が大きく目先の数字をつくりやすい薬剤を売り込む営業体質が根強く残っていた。それに対して鈴木氏は、毎日多くの医療機関をまわり、科学的データをもとに製品の良さをしっかりと説明して、コツコツと慢性疾患の症例数を積み重ねていくスタイルを選んだ。このことにより、MRとして中長期的に目標を達成し続けることができ、また、循環器などのより大きな市場にシフトしつつある会社の方向性ともマッチしていた。平行して、同じ思いのMR仲間とタイミングを合わせて成功事例を情報発信したり、本社の依頼で販売ノウハウを開示するなど、ジワジワと営業部門の風土に影響を与えていったのだ。


 平日はほぼ毎日が宿泊出張という生活の中で、月に10件ものレポートを提出するのは容易なことではない。そもそも、いい営業をしなければいいレポートは書けない。しかし、それが良い意味で自分をドライブする力になったと話す。


 「レポートは定期的に冊子化されて社員に配布されていたので、記事を読んだ同期から『おまえ、頑張っているな』とよく声をかけられました。こういった反応がうれしくて頑張ることができたのかも知れません。それから、会社も自分の提言をいろんな施策に反映してくれたんですね。ですから、毎週2~3通書き続けているうちに、何千人という大きな組織の中でも、たった一人の力って大きいんだなと実感できた。20代のうちにそう思えたことは組織人として幸せですし、今の自分にも大きな影響を与えているなと思います」


 入社4~6年目には、ある新製品で全国トップの売上を上げ続け、後日プロダクトマネージャーから「鈴木君が販売ノウハウを発信してくれなければ、この製品は100億円に到達しなかった」とも言われた。そして、入社7年目には慶應大学病院担当に抜擢されて東京に異動した。


 「当時はまだ『風土改革』という言葉は知りませんでした。でも、いま改めて振り返ってみると、北海道でMRだった頃から、帝人で言う草の根リーダーのようなことをすでにやっていたんだなと思います」

                               (つづく)


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