(3)鈴木崇之氏

草の根リーダーを増やして風土を変える

「私がやる!」プロジェクトを牽引

【中編】

(元)帝人グループ
「私がやる!」プロジェクト 事務局

(現)帝人ファーマ株式会社
 戦略企画室 医薬医療企画部 事業企画グループ 
 担当課長

鈴木崇之 氏
 
  自分のやりたい仕事を追求したいと葛藤した結果会社を辞め、その後転職した鈴木さん。しかし、次の職場では中途入社の絆の薄さや社内の雰囲気に違和感を覚 え、やがて「どうすれば会社を良くできるのか」ということを深く考えるように。その頃、若手が交流する社内研修に出て、「人と思いがつながってこそ会社は 楽しい」と再認識。組織風土改革のプロジェクトを立ち上げ、CEOも賛同、改革活動へ突き進みます。鈴木さんの当時の思いにクローズアップしていきます。


● 本業そっちのけで

   プロジェクトにのめりこむ

 営業としてのキャリア形成を強く求めた会社は、02年9月、鈴木氏に某大学病院担当MRの辞令を出した。同社では最も若い年齢(30歳)での大学担当チーフへの抜擢だった。

 しかし、かねて国際部門への異動を望んでいた鈴木氏は、断腸の思いで辞表を提出する。


 「それまで築いたものを捨てることにためらいがなかったと言えば嘘になります。それに何より、会社をよくしていこうと語り合ってきた仲間とのつながりが絶たれること、自分に期待してくれた人たちを裏切る形になることが辛かった」

 転職先の帝人(現・帝人ファーマ)では、貿易や事業開発という念願の部署に配属され、やりがいを感じて仕事に取り組んだ。そんな中で全社から選ばれたのが冒頭の「若手交流会」だった。

 半年間、本業と並行してグループ7人のメンバーと月1回以上のミーティングを重ね、06年2月、経営陣に提言をプレゼンする。それが、「私がやる!」プロジェクトへと発展した。

 CEOの「すぐやろう!」のひと声で、メンバーの驚きと戸惑いをよそにプロジェクトはスタートする。プロジェクトの実質的なリーダーだった鈴木氏は、次第に本業よりもプロジェクトの活動にのめり込んでいった。

 学生時代から希望していた仕事にようやく就くことができたにもかかわらず、なぜプロジェクトにのめり込んでしまったのか。鈴木氏は、当時の仕事自体には満足していたが、何か物足りないものも感じていたという。

  「現場のMRだった頃を振り返ると、自分は意外と組織に大きな影響力を持っていて、それがすごく面白かったんですね。でも、その面白さも人とのつながりが あってこそ。一方、本社の仕事では、会社の戦略や仕組みの面では影響力を持てるんですけれども、営業現場にいたときと比べると人と人との心の距離が遠いと 感じた」

 また、本社の仕事に就いて気になっていたこともあった。それはシンドそうな顔で廊下をうつむいて歩いている社員の姿をよく見かけることだった。

  「会社は最高益を出していましたから、業績や処遇のせいではない。でも、オフィスを一つの居住空間として見たときに、何とも言えない過ごしにくさも感じた んですね。『指導』という名の下に、愛情の感じられないキツイ言葉が飛び交っていたり。この雰囲気の中で定年まで過ごすのは嫌だなと。それに、長い間数字 を追いかけていた私が言うのも変ですが、与えられた仕事を上手にこなせることが人間の価値基準になっていくような気もして、モヤモヤと違和感が広がってい ました」

 それに輪をかけて、中途入社で社内のつながりが少ないという寂しさもあった。そんな中で「若手交流会」のグループのメンバーとは、ワイワイ議論をしながら「会社を良くしていこう」という話ができた。

 転職して欠けていたもの、つまり、「人と思いがつながってこそ会社は楽しい」ということを、この研修を通して再確認したのである。

 このことは、その後の「私がやる!」プロジェクトの活動内容に大きく反映されることになる。

 07年7月、鈴木氏は、「私がやる!」プロジェクトに没頭する姿を見た周囲の取り計らいにより、帝人グループ全体の人財開発を担う部署に異動。晴れて風土改革に専念できることになった。


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